キャンプへ向かう道で、死にかけた

キャンプ場へ向かう道中だった。
カーブを曲がると、目の前に逆走してくる車がいた。最初は追い越しをしているのだと思った。すぐに自車線へ戻るだろうと。しかしその車は戻らなかった。慌ててハンドルを右に切ったが、間に合わなかった。
ほぼ正面衝突だった。
1秒、2秒、3秒……。時間の感覚が消えた。相手は普通車、私は軽自動車。相手は下り坂、私は上り坂。大きさもスピードも違う鉄の塊が、まともにぶつかった。私の車は衝撃で飛ばされた。
耐えて目を開けると、車内から煙が上がっていた。「爆発するかもしれない」と思い、急いで外へ出た。エアバッグがみぞおちを直撃していたのか、うまく息ができない。車から出てその場に崩れ落ち、ただ横たわっていた。
逆走していたのは高齢の男性だった。居眠りをしていたらしい。謝られたが、聞く気にもなれなかった。
幸い、体からの出血はなかった。アドレナリンのせいか、その場ではあまり痛みを感じなかった。警察の対応に従い、レッカー車を見送り、保険会社と連絡を取り、一通りの初動を済ませてから、家族に迎えを呼んだ。
今は、右手首がパンパンに腫れて使い物にならない。肋骨も痛い。くしゃみやしゃっくりのたびに、じわりと響く。
いろんな感情が、波のように押し寄せてくる。
まず、怒り。居眠り運転で逆走してきた相手への怒り。これは到底、消えそうにない。
次に、後悔。その日は少し天気が悪かった。それでもキャンプへ行こうと決めた自分を、責めた。あの判断がなければ、と。
そして、諦めにも似た感覚。ほんの5秒、ほんの一度コンビニに寄っていたら、あるいは寄っていなかったら、今回の巡り合わせは起きなかったのではないか。そんなことを、ぼんやりと考えていた。
それでも最後に残るのは、生きていてよかった、という気持ちだ。
ほぼ正面衝突で、エアバッグが開くような事故の中で、生きている。それは素直に、よかったと思う。丈夫に産んでくれた両親への感謝も、自然と湧いてきた。ご先祖様が助けてくれたのかもしれない。体が回復したら、仏前に手を合わせ、墓参りをしようと思っている。
怒り、後悔、喜び。こうした感情を抱けるのも、生きているからだ。
最後に、これを読んでくれた人に伝えたいことがある。
車は、凶器だ。
鉄の塊が高速で移動している。それを「凶器」と呼ぶことは、間違いではないと思う。それでも我々は車を使う。便利だから、ないと困るから。経済合理性の中で、凶器と付き合っている。
だからこそ、使い手のマナーとモラルが、命に直結する。
キャンプの帰り道、疲れているなら無理をしないでほしい。仮眠を取ってから走ってほしい。自分を守るために。そして、見ず知らずの誰かを守るために。
私のような目に、あなたには遭ってほしくない。

